友達0からスタート
高校に入学した。
同じ中学から進学したのは、男の子2人だけ。クラスもバラバラになり、私は友人を作ることに必死だった。
部活はバレー部に入部。人間関係のことでいっぱいで、勉強はそっちのけ。
いつの間にかテストの順位は、30位から220位へ。220人/240人だったので、下から20番目。
「優等生であること(他人からの評価)」に重点をおいていたので、
テストの順位が低い=私は自分が無価値になったように感じた。
それが続くと、自分のことがどうでもよくなった。
たまに、もう一度頑張って優等生である自分を取り戻そうとしたが、優等生の自分にはほど遠く、エネルギーが切れてしまう。そんな毎日をくり返した。
その後は、逆に不真面目になることで自分の価値を確かめようとした。
授業中に教科書を出さずに、ベランダを眺める。担任の先生は温厚な数学の先生だったが、さすがにしびれを切らしたのか、教室追い出された。
いつの間にか、学校も昼登校が多くなった。
勉強はだめだったが、部活では何とか他人の評価を保っていると思っていた。
なぜなら、1年生の頃からベンチ入りすることができたから。同級生10人、先輩が20人程度の中のベンチ入り。
優等生になれないと思った私は、せめてバレーでの評価は失いたくないと思い、バレーに打ち込むようになった。
が、1時間以上かけて高校に通っていた私は、10月には朝練に行くことが体力的にきつくなっていた。
また、体育館が高校から徒歩5分の場所にあったのだが、伝統でそこまでバレーの荷物を持って坂道を走らなければならなかった。
走らないと、先輩に怒られる。
ある日、疲れていたときに手を抜いて走っているのを見つかり、怒られた。
きついのに何で走る必要があるのか?メンドクサイ…。
その日を境に、バレーも頑張るのを辞めた。
練習試合で試合にも出させていただいていたが、朝練には来ない、やる気もないという状態だったので、いつの間にか本業のリベロで、ユニフォームさえもらえなくなった。
ただ、「レギュラー落ちして部活を辞めた人」と思われるのが嫌だったので、とりあえずバレーは続けていた。
自分の価値を認められる恋愛
勉強も辞めた、バレーも適当。
次に自分の価値を証明しようと、私は恋愛に没頭した。
高校1年の10月にできた彼氏。
彼は野球がとても上手で、県選抜にいつも選ばれていた。そして、テストの順位もいつも学年3番くらい。まさに私が思い描く優等生。
私は、優等生の彼一緒にいる私に価値を見出すようになった。彼の気持ちを自分に向けることに必死だった。中学生のときの恋愛と似たようなもの。
彼は、医学部を受験した。受験判定ではA判定だったが、まさかの不合格だった。
周りからは、「ようこちゃんと付き合っていたからじゃない?」と言う声が聞こえてきた。
「私のせいだ」という気持ちが自分の中にあったこともあり、彼が大学に合格するまでは一緒にいようと決めていた。
だけど、今思うと彼のことは好きだったのだと思います^^
とっても優しくて、まじめで誠実な人でした。
将来の夢
そんな感じで高校時代を過ごした私は、卒業する頃に行ける大学もなく、夢もなく。(もともと医者になろうと思っていたので、進学校をチョイスしたはずだった)
だから、受験の時期になると焦った。
同級生は、自分の行きたい道や進路について堂々と語り、そのための勉強をしている。
やりたいこともなく、勉強も部活もうまくいかず、受験前には彼とも別れていて、何もかも失ったような気持ちになった。自分が無価値になった感じ。
私は、毎日がひたすら苦痛だった。
自分が何をしたいのかわからない。
学校に行くのがつらい。
同窓会で言われたのだが、「石原は、いつも16時とかに学校に来てたよね。まじサボりまくってたよね。」
自分では、そこまでサボったつもりはなかったが、昼登校…目立っていたらしい(笑)
心配する母とはよく衝突した。
あんなに優等生だった私が俗に言う「グレた」から、母は気が気ではなかったはず。頭が薄くなっていた。その母にまたダメージを与えるように「なんでハゲてんの?」とか言っていた。
ごめんね。当時を思い返すと、本当に申し訳なく思います。
進学先
進学先をいよいよ決める時期に来た。
医者にはなりたいもの、「浪人なんかしたらみんなに負けた感じがする。恥ずかしい。優等生じゃなくなる。」と迷っていた。
優等生からはほど遠くなっていても、自分の外側、他人からの評価に軸を置く生き方からは抜け出せなかった。
家族や担任の先生は「本気なら、浪人したらいいじゃない」と勧めてくれていた。
でも、当時の私はやっぱりそれを選べなかった。
医療系には興味があったので、看護師という道を選んだ。
学校は3年で卒業できる看護学校、その中で偏差値61.5と一番高かった九州医療センター附属福岡看護助産学校に進学した。(今は閉校になりました)
学校の場所は百道浜(ヤフードームの隣)にある。
そこに住めれば、みんなに勝てる。
次は「都会に住む私」に価値を見出した(笑)
勝ち負けの世界で生きていた私は、ここでもそうやって進路を決めた。
たまたま友人が2冊持っていた入学願書をもらい、申請。
テストはできた感覚はあったが、倍率が8倍だったので「落ちるのではないか」と、とても怖かった。
が、運よく合格していて、進学することになった。
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バイト三昧の日々の中で…実習での出会い