自分史~看護師時代~

ICUでの毎日

配属先は、ICUになった。ICU希望だったので嬉しかった。ICUを希望した理由は、やっぱり他人からの目が半分。ICUでナースをしている私に酔いたかったのだと思う。そういう部分もあったけれど、それだけではなくて、小さい頃から集中治療室には憧れていた。

父方の祖母が身体が弱かったこともあって、命が消えそうな時に緊急的に何かできることが人たちってかっこいいなと思っていたからだ。

ICUに入ってからは、暗黒期だった。外側の評価ばかり気にしていた私は、先輩の目ばかりを気にして患者さんと向き合うことがなかった。患者さんより、自分がどうみえるか。先輩の顔色ばかり気にしていて、先輩の顔がちょっと歪むと何もできなくなった。

そうなっていくと、できることもできない。自分のことが信じられなくなった。自分を疑ってばかりだったので、何をしてもどんな小さなことでも、自分がちゃんとできたか心配だった。どんどん自身がなくなっていく。

病態のことや患者さんのことも一応勉強していた。でも、どれだけ勉強しても、技術もどれだけ練習しても自信が持てず、顔色をうかがいながらだった。こんな毎日が続くと、やる気もなくなっていく。不安からエネルギーを消耗していた。

仕事に行くことを辞めてしまえば、自分の人生が終わる気がして仕事には行っていた。朝起きた瞬間から、もう朝かと二度寝をし、ぎりぎりまで寝て、顔だけ洗って出勤する。

また、一人折り合いが合わない先輩がいて足音を聞くだけで怖くなった。

なんとか勤務時間を耐えしのいで、仕事が終わってそのまま寝る。また、最悪の気分で朝を迎える。1年以上そんな生活を繰り返すと、ちょっとしたことで涙が止まらない。そして、感覚が鈍る。そんな状態になった。

メンタルクリニック

いよいよまずいと思って、クリニックに行った。クリニックの先生と話して、このまま看護師を辞めると負けた気になるからやめたくないので内服をくださいと自分からお願いした。

先生は、病名も特に告げず、「わかった。今の状態だったら薬飲まなくてもいいと思うよ。だけど、薬がないと仕事に行けない、仕事のせいなら今仕事やめてもいいんじゃない?笑」とだけ言って内服を出してくれた。

内服薬を見ると、ある抗うつ薬0.25錠と気分を落ち着ける漢方だった。

一度だけその薬を飲んだ後、残りを全部捨てた。何故なら怖かったからだ。私は実習で、うつ病の患者さんを担当していたこともあって、その姿と自分の姿が重なったから。このまま内服なしで生活が送れなくなるかもしれないと思った。

薬を飲む勇気もないなら、薬なしで過ごせるようになるしかないと思った。ここで、絶対変わってやろう!!!!!!!!自分の中から声が聴こえた気がした。声を上げて、わんわん泣きながら変わることを決意した。

生活

当時、生活はボロボロだった。食事はコンビニかお菓子。カントリーマァムのファミリーパック、ミルキー一袋。服にカビが生える、ヨーグルトが朝起きたら顔に降ってくるという伝説ができたのもこの時。

看護師のお給料は30万円弱あったものの、月末はなぜかカードの支払におびえていた。何に使ったのかもわからないという感じだった。いつもお金がないという感覚があった。

恋愛は、彼氏がいた時期もあったが、中学、高校のときと同じように、自分に自信がないので素の自分で相手に接したことがなくいつも居心地が悪い恋愛だった。

恋愛のコラムや本を読んで、一般的に恋愛でいいとされる私を創りあげようと必死だった・・・彼と会っているときも、一般的ないい女を演じられているか?失敗していないか?そんなことばかりに気を向けていた。

引き寄せの法則

そんな生活や状況が本当に嫌になって、自分を変えてやろうそう思った時、思い出したものがあった。

「引き寄せの法則」である。昔から母が、「思った通りの人生になるよ。だから、自分でなりたい自分を思い浮かべるといいよ。」「引き寄せの法則っていうのがあってね…」とザ シークレットという本を手渡してくれたのを思い出した。

この本でなんとか立ち直ろうと思ったものの、うまく行かず、結果的にセミナーにお金をかけた。更に、1日1冊は自己啓発の本を読んだけれども自分の状況が変わることはなかった。

諦めそうになりながらも、なんとか変わりたい、自分のことを諦めたくない。そんな思いだけで行動していった。

信じてくれていた人たち

仕事はうまくいかない。そのストレスからお金を使う。いつも憂鬱で、何が不満か?何が不安なのかか?わからないけれど、毎日がなんとなくもやっとした中を生きていた。いつも「本当の私はこんなものじゃない」という気持ちが胸に合った。

そんな気持ちで過ごし続けていた私は、顔もオーラもいつの間にかもやっとしていたと思う。

そんな私でも、看護師時代ずーっと応援してくれた人がいた。私がやる気のないどんなにエネルギーの無い顔をしていても「うちの石原に見せてあげて」「うちの石原に経験させて」「石原さん、さぁ○○さんのケアやるよ!!!」目をキラキラさせて私を引っ張ってくれる人がいた。

当時のICUの副師長。彼女は、年末にあるパートナーナースを決める会議で、「石原さんとやりたいです。彼女は、良くなろうとする姿勢があるから」と、どん底の私を選んでくれた。

私が、他の先輩に怒られたら、「なんで今それした?理由をまず話しなさい。あなたがしたことには意図があるよね?」と先輩のもとから私を引き取って、とことん理由を聞いてくれた。

どんな時もあなたの力を信じる。そういう姿勢で接してくれていたことが私の前に進む力なった。このことは、私のコーチとしての姿勢に繋がっている。

辞める決意を

2年目になって副師長さんとペアになり、どんなことにも頑張る気力が湧いた。患者さんをしっかり観察して、次に備える。それを繰り返していたら、いつの間にか、先輩たちに仕事で褒められるようになった。「石原2年目だけど、石原がいると安心」そう声をかけてくれるひとも出てきた。

だけど、私は看護師を辞めることを決めていた。自分のこれからの人生をしっかり決めたいという気持ちだった。看護師は一旦辞めてみようと思った。

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一旦リセット、自分と向き合う時間を作った