自分史~小学生時代②~

なんでもできる友人

一緒に公文式、ピアノに通っていたMちゃんという友人がいた。
彼女も、何でもできる子と言われていた。

公文式でも、私より少し先の勉強をしていた。ピアノもコンクールで優勝するなど、抜群にうまかった。足も速かった。しかも、私が憧れる顔立ちだった。

また、私と違って彼女は、他人の評価ではなく「自分の好き」を大切にしていた。そして、一人っ子でいろいろなものを持っていた。(私の欲しいペンやノートなど)

常に、自分の外側に価値を置いていた私。「勝たなければ私の価値は…」。Mちゃんに負けると、自分の価値が下がったように感じたことを覚えている。いつも不安だった。

運動会で初めての3位

Mちゃんに勝たなければという思いが増していた頃、運動会があった。

その頃、「男女平等」がうたわれ始めた頃で、6年生の運動会では男女混合でかけっこだった。
私は、男子で一番足が速い子と一緒の組になった。

「男女の違いがあるから、もし負けてしまっても仕方ない」と自分に言い聞かせて挑んだ。

だが当日、予想に反してまさかの他の男の子にも負けたのだ。私は1週間ほど落ち込んだ。

そして、負けるという経験をしていく中で、自分の外側に置いていた価値が崩れていった。

「足が一番速い私」「勉強が全て一番の私」「優等生な私」「かっこいい父を持つ私」「なんでもできる私」が、少しずつなくなっていった。

それと共に、自分への自信をどんどん失った。

ただ、自分のために何かをやったとき、心が満たされることを少しだけ学ぶ経験をした。

小学校体育大会(小体連)での出来事である。

私が出場する小体連の種目は、高跳びになった。体育の先生が、授業での私の姿を見て打診してくれたのだ。私自身、高跳びは走ることより好きだった。

高跳びの練習を毎日している私を見て、近所のみんなが応援してくれた。

ある人は、竹を切ってお手製の練習バーを作ってくれ、ある人は、練習中にお茶や食べ物を準備してくれた。

そんな周りの人の気持ちから、「自分が好きなことをしている時間は周りに認められない」という不安から感じる、いつもの心のもやもやは消えていた。

小体連当日、今まで飛んだことのない高さのバーをクリアし準優勝の成績を収めた。

みんなが喜ぶ姿を見て、私はとても嬉しかった。

この経験から、

・自分の心が喜ぶことを大切にすること
・応援によって、自分の持つ力以上の力を引き出すことができること

を知ることができた。

これは、今のコーチとしての生き方に繋がるものがある。

応援し続けてくれた人

そんな小学生時代だったが、いつも私を信じて褒めてくれる人がいた。

一緒に住む祖母と、隣の家に住むMさんというおじいちゃん夫婦。いつも、無償の愛で応援してくれた人たちである。

成績表が出ると、毎回持って行っていて「よく頑張ったね」と褒めてくれた。どんな状態の私でも受け入れてくれて、応援してくれた。

何があっても、そこへ行けば心地よい安心感を感じる場所だった。ありがとう。

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「優等生」の私が崩壊していく